『クロニクル』

アンドリューはカメラで自分の周囲を撮影しだす。
私たちには、そのカメラの映像が見せられている。映画の中のカメラの映像により構成されているところがこの映画の特徴だった。
あるパーティーの夜、アンドリューは同級生二人とともに、不思議な力を得る。ものを触らずに動かしたりといった、いわゆる超能力だ。三人は超能力を持った者同士としてつるむようになる。一人は、アンドリューのいとこのマット、もう一人は、生徒会長にも立候補する学校の人気者のスティーブだ。
初めは、力で何ができるのかを試しているだけだった。ボールの軌道を変えたり、スーパーでぬいぐるみを動かして少女を驚かしたり。様々なことを超能力によって行うところは見ていて楽しい。
アンドリューの才能を評価するスティーブは、力を使った奇術を発行の発表会で行うことを提案する。スティーブの演出により、素晴らしい出し物ができ、いちやくアンドリューは学内の人気者になる。発表会後のパーティーでもモテモテだ。
その結果、かつてのクラスメイト・モニカと別室にしけこむことに成功する。
カメラは置いていったため、撮影者はスティーブに変わっている。
「いまアンドリューがこのなかで男になってるぜ!」
ティーブはテンション高く、部屋に近づいていく。
すると、部屋からモニカが飛び出してくる。「最低よ!」
ティーブが部屋に駆け込むと、アンドリューはうずくまっている。「撮るな!」
アンドリューは飲みすぎて嘔吐してしまったのだった。

一夜明け、すでに噂は広まっている。アンドリューは学校中から馬鹿にされることになった。アンドリューが脇を通る時にモニカ含めた女子のグループが吐く真似をするときの嫌さといったらない。
そのあとはもう、一直線に下降していく。
暴力をふるう者たちに対し、もはやアンドリューは容赦なく力を使う。父親に対しても力で屈服させ、病床の母親の薬を買うために強盗も行う。そして強盗に失敗し、入院しているときに、母親の死を知り、父親から責められ、全てを破壊しだすほどの暴走を始めてしまう。。

超能力を扱ってはいるが、これは思春期の若者の屈折を描いたものだ。
アンドリューは家庭の事情から同情する余地もあるように見えるが、本人も周りを変えようというアクションや、誰かに頼るといった行動も起こさない。非常にプライドの高い人物で、確かに、思春期の若者をよく表している。自分にもおぼえがある、という人も多いのではないだろうか。

マットとスティーブがとても対照的に描かれている。
マットはいとこであり、少し暗く、アンドリューに似ているが、優しい性格であるため、女性とも親しくなることができる。
ティーブは学校中の人気者で、性格も本当に友達思いのかなりいいやつ。アンドリューのことも友人として親しく接している。
アンドリュー自信、つるんでいるときは嬉しかっただろう。このような二人に認めてもらえたのだから。だが、うまくいかなくなると、全てうまくいっている二人が途端に目ざわりになる。分かるが、とても理不尽な怒りだ。
女性経験がないこともコンプレックスだったのだろう。それが、最高潮まで持ち上げられたところで、どん底まで突き落とされた。他人と関わらずに大事に守ってきたプライドは、ずたずたに引き裂かれてしまったことだろう。人気者にしてくれたスティーブまでも、逆恨みしたのではないだろうか。このような反動が大きな爆発につながったのだ。
女性や友人といった他人の承認をめぐる悩みはある意味普遍なものだ。設定が変化球ならストーリーは王道、というやつだろうか。しかし、普遍な悩みである限り、誰もがアンドリューになり得る。ではアンドリューは何が違うのか。何が彼を暴走にまで追い込んだのか。

ひとつにはもちろん、アンドリューの得た力だ。
アンドリューがひ弱なままなら、ここまで簡単に周りをめちゃくちゃにすることはできなかっただろう。不本意でも耐えることで、新しい解決を見つけていたかもしれない。
だが逆に、不満をため込んでしまうことで、より残酷な方法で爆発したかもしれない。銃も爆弾もいまや手に入れることは難しくない。
また、アンドリューが力を手に入れる数日前から始めたことがある。それが何かは私たちが最もよく知っている。自分の生活の周囲を撮影することだ。
アンドリューはイヤなもの全てを映す。働かず暴力的な父親、自分をいじめてくる生徒、自分を気持ち悪がるチアリーダー
一見すると、情けない姿を記録する、自らを貶める行為のようでもある。だが、おそらくこれは逆に、アンドリューが自分のプライドを守るための行為であったのではないだろうか。
不意にカメラを向けられて不快に思う人間も多い。カメラに収められるという行為は、自分の行動が相手により保存され、自由に再生されてしまうことを意味する。ある意味、これほど強い支配はないのではないだろうか。鑑賞者がいるかぎり、対象を客体化してしまう。その力はアンドリューが得た超能力も凌ぐ最大の暴力だ。
アンドリューにとって、どんなに殴られようと、虐げられようと、家に帰って、それらのシーンを再生する瞬間には立場が逆転し、相手を征服している気分になれたのではないだろうか。
もちろん、屈折したストレスの解消には違いない。しかし、これがアンドリューの尊厳を守る術だったのだろう。再生ボタンこそが逆転のスイッチであり、そのために日々に耐えることができた。
逆に、アンドリューがスターになった夜のパーティーではもう撮影をしていなかった。尊厳が満たされているときには、カメラは必要がないのだ。


そう考えると、最後の戦いののち、マットがアンドリューのカメラを使って撮影していることにも、意味が感じられる。
アンドリューは超能力を使った戦いに負けた。その上、カメラはマットの手に渡り、撮影者としての立場まで奪われてしまった。完全に凌駕されてしまったのだ。

記録することにより、尊厳を保っていたアンドリューが、その尊厳ゆえに暴走し、破滅をむかえる。彼が破滅した瞬間、この記録は、彼が支配していたものから、彼をとらえていたものに変化する。結局は生き残り、みているものの優位を作り出すものが記録なのだ。
アンドリューがもう少し尊厳を守ることが下手であれば。マットやスティーブに頼ることが、父親と話し合うことができれば、あれほど追いつめられることはなかったのではないか。記録(クロニクル)をみている側の私たちは悔やむ。


ただ、やっぱりモニカがもっと優しくてあんな態度とらなければ大惨事を招かずにすんだんだよ。

 

CHRONICLE(DVD付)

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