『清須会議』

清須会議』はとても三谷幸喜的な作品だった。
というか三谷ファミリーばかりでてるからそれは見た目でも三谷幸喜的になるんだけど、特に、映画『12人の優しい日本人』を思い起こさせた。「会議」という話し合いが主題になっている点もそうだし、対立する陣営が味方をつけようとあれこれ画策したり、演説をしたりという点がよく似ていた。
『12人の~』と異なっているように感じたのは、大泉洋が演じる豊臣秀吉が完全に主役だったという点だ。『12人の~』の陪審員たちには、特に強く際だだった登場人物はいなかったが、『清須会議』では、役所広司の演じる柴田勝家と秀吉の対立が描かれてはいるが、秀吉が主役であるように感じられた。
勝家は単純な人物として描かれていて、小日向文世の演じる丹羽長秀の助言も聞かず、観客をとてもイライラさせる。頭脳的な秀吉と、直情型の勝家という図式になっていて、秀吉側に観客が寄るようになっていたと思う。
この知的でアドヴァイスをする丹羽長秀と言うことを聞かない柴田勝家、という関係は定番ではあるけど、うまいなあと思った。観客を、ああ、そんなことしたらだめだ、とイラつかせるけど、はらはらさせて引きつける。『古畑任三郎 vs SMAP』を思い出した。少しタイプは異なるが、古畑では、香取慎吾が直情型、中居正広木村拓哉がリーダー型になっていた。出来る奴と言うことを聞かない奴がいるのはイラつきがつのるというところもあるが、話に起伏をつけて引きこむ材料にもなるのかもしれない。
そのイライラさせる役所広治はとてもコミカルで面白いんだけど、もうCMとかで「面白いひと」になってしまってるのが惜しかった。もう少し前ならギャップでもっと面白かった。
ビーチフラッグをさせたりという、フィクション的な要素が入ることに文句を言うひとはあまりいないだろう。そういうものだし。ビーチフラッグのシーンは、そこまでに登場した人物たちのキャラクターを改めて認知させるという意味でもあってよかったように思う。三法師を跡目に、という発想を思いつく場面にもつながるし。
この物語の飛躍する点は、二人しか選択肢がないと思っていたところで第三の案に気付く、という点だと思うが、これを本当に新しい、と思わせるのはとても難しかっただろうな、と思う。そもそも歴史だから、知っている人は知っているし、知らない人は、その新しさも分からない。
というか、字幕もほとんど出さず、登場人物の名前も劇中で呼ばれるだけで、かなり観客を信用しているな、と思った。テロップが出たり、最初にナレーションで説明があってもおかしくない、と思っていた。何せ武将たちは、役職名や幼名や名前やら、呼び名が色々あるから。織田家もみんな「信」がついて紛らわしいし。しかし、特に説明がなくても、キャラクターと関係性が際立っているので、徐々に登場人物を憶えていくことができた。いくつもの強烈なエピソードによって、短い登場時間でもキャラ付けがされるのは流石だと思う。もちろん役者の人たちのうまさもでもある。
そしてやはり、その関係性の中心にいる秀吉が主役の映画だったように思う。
いかに秀吉が周囲の人物たちを籠絡し、なだめ、おだて、取引をして、あの手この手で自分の思い通りにさせていくか、を楽しむ話だろう。『12人の優しい日本人』で陪審員2号が、みなの意見を翻したように。
だから、『ステキな金縛り』や『ザ・マジックアワー』のような大きく動く物語はない。物語のほとんどが一つの建物の中で完結している。(ちなみに『ステキな金縛り』の西田敏行の演じる更科六兵衛が『清須会議』にも少し登場する)
そういった点でも、また、会話が中心だった点でも、舞台のような作品だったように思う。舞台のような作品を、あれだけ豪華な美術、衣装でみられるというのもとても贅沢なことだ。
しかし、会議自体はそれまでに優劣がだいたい見当ついてしまって、どっちが勝つのか?のような楽しみがなかったのが惜しかった。これも歴史の話だからなかなか難しい点ではあるが。だんだん周りに裏切られて負けてしまう勝家が可哀想になってしまう。もちろん、そのフォローのために秀吉の慕うお市鈴木京香)を手に入れるというオチが用意されているんだとは思うけど。
もうひとつのオチの、じつは松姫(剛力彩芽)が三法師をさりげなく跡目にしようと画策していたっていうのも唐突でもったいなく感じた。男たちが必死に話し合っていると思いきや、じつは女の手に転がされてた、っていうオチはきれいだし、最後の松の笑顔はすごく怖くてよかったんだけど。
あれだけの登場人物が何かしら最後には絡んで一癖だしてくるのはさすがだった。華やかな俳優陣や美術だけど、ストーリー上では秀吉が主役だが、他の大勢の登場人物の関係性をあらわしてそれぞれの印象を残していく、じつは渋めの作品だったんじゃないかと思った。